全員で、この手で、
完成させる。
Hondaのバイクの
つくり方。

2006年入社
布袋 喬史/TAKASHI HOTEI

研究開発(二輪)

(株)本田技術研究所 二輪R&Dセンター 研究員
電子工学 修了

部分をやるか、
全体をやるか。

僕は電子工学科で新材料の研究をしていた。その知識を生かそうと、最初は電子部品メーカーなども受けた。やはり就活とは、その過程で自分の欲求を掘り起してくれるものだ。僕の中でいっそう顕在化してきたのは、「一部でなく全体を見てモノづくりをしたい」という欲求。完成車メーカーへの親和性を強く感じ始めた。もちろんHondaに決めた理由はそれだけじゃない。未来のための研究に挑んでいた僕の心は、果敢に新しい価値創造に挑戦し続けるHondaの姿に共鳴していた。

多様な事業領域の中、志願したのは二輪領域。1台1台の開発に丸ごと携われるのではないか?全体を見渡しながら、最初から最後まで関われるのではないか?そんな期待からの志願だったが、入社すると見事すぎるほどの的中ぶりで嬉しくなった。Hondaの二輪開発の現場では、“エンジン屋”とか“制御屋”といった分け隔ての意識が薄く、「全員が二輪屋だ」という空気が充満していた。各自が違うコアをもちながらも、誰もが全体性能を見据えている。開発者全員で自分たちのつくったバイクに乗り、その鼓動を確かめ合ったりもしている。まさしく僕が望んでいた場所だった。学生時代の経験が生きていることも、嬉しく思う。配属された電装テスト領域でも、研究→実装→検証→再実装という理系の本質的プロセスは学生時代と同じものだった。

大失敗を、
ほめられる?

入社以来ずっと電装テスト領域に所属し、大型機種を担当してきた。“テスト”といっても、他の人がつくったものをテストして終わりという仕事ではない。最上流から関わって、車両全体のコンセプトについて各領域の技術者と議論したり、コンセプトを達成するための要求をかみ砕いて最適な電装品を検討したりすることからスタートする。そしてそこから生まれてくるものをテストして、仕様を正式に決定し、量産までしっかりと見届ける。それがHondaの流儀である。

新人時代には忘れられない経験もした。ある開発が終盤を迎えた時のこと。いよいよ量産へというタイミングで、自分のミスのせいで仕様を大幅に変更しなくてはならない事態を招いてしまった。申し訳なさと情けなさで一杯になりながら、急いでLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー:開発責任者)のもとへ謝りに行った。ところがその人は第一声、「ありがとう」と言ったのである。大きなポカをしたのにありがとう?目を丸くする僕に、その人が続けた。「量産前に見つけてくれたおかげで、より良い仕様にできるじゃないか。手間のかかる対応業務は全て僕がやるから、君たちはこれからも全員で、伸び伸びと開発してください」と。なんて器のでかい人だろう。一発で惚れ込んでしまった。Hondaには現場主導で開発を進めるボトムアップの文化がある。その文化はこんなLPLや上司たちがいるから根付いているんだと、深く心に刻み込んだ。

全員が納得し切るまで
こだわり抜いた、
究極のバイク。

入社7年目、僕は電装テスト領域のPL(プロジェクト・リーダー)として、RC213V-Sというスーパーバイクの開発を推進した。これは途轍もないバイクだった。二輪モータースポーツの最高峰“MotoGP”、その世界最速の参戦マシンを一般公道でも走行可能にするという、史上空前の市販バイクの開発だったのである。Hondaには「世界で一番速いマシンとは、世界で一番操りやすいマシンだ」という思想がある。世界で一番操りやすく、かつ世界で一番ゴージャスな市販バイクをつくり上げようと、全員のボルテージが最高潮に達した。

他の領域と同様、電装テスト領域でも創意工夫をふんだんに凝らした。例えば、フルカラーTFT液晶モニターを採用し、通常走行のストリートモード/サーキットモード/暖機の際のメカニックモードなど、場面に応じて切り替え可能な表示方法を実現した苦心作のメーター。外装カバーで隠れている配線のレイアウトにも試行錯誤を重ねた、人目にはつかないところのワイヤリングの美学。そして幾多の難題をクリアして導入したスマートキー等々。部品1つ、配線1本、ボルト1本に至るまで、細部の細部にまでこだわり抜いた。試乗発表会では絶賛の嵐。興奮してガッツポーズをする方。雄叫びを上げる海外ジャーナリスト。やはりHondaは期待されているのだと痛感した。夢のモビリティをつくることを、世界中から。

安心できるマシンこそ、
優勝できるマシンなんだ。

RC213V-Sの開発で、僕はPLとしてあるマイルールを貫いた。「全員の話を聞くこと」である。主張を押し付けても良いバイクは生まれない。皆でアイデアを昇華させながら最高の1台を完成させること、それがHondaの真骨頂だ。そう考えてプロジェクトを推進できたのは、前述したLPLの影響も大きいのだと思う。ちなみにその人はRC213V-Sの打ち上げの飲み会にも来てくれて、やはり「ありがとう」と開口一番に言っていた。「皆で凄いバイクをつくってくれてありがとう」と。

現在の僕は市販車領域を離れ、レースマシンを開発している。目標は鈴鹿8時間耐久ロードレースなどで優勝すること。だけど優勝だけでは満足しない。僕にはある志があり、それと共に優勝を叶えたいのだ。志とは“安心・安全なマシンの実現”である。高速マシンを開発している僕がそう言うと、意外に思われるだろうか?だけど最高に速いマシンをつくることと、安心して乗れるマシンをつくることは、けっして対立概念じゃないというのが僕の信念だ。目の前を走るライバルがいれば抜き去り、一番でゴールしようと挑むのがライダーの仕事。その仕事を安心して全うしてもらうことが、僕の仕事だと思っている。「一番速いマシンとは、一番操りやすいマシンだ」というHondaの思想に、僕は次のように付け加えたい。「そして一番操りやすいマシンとは、一番安心できるマシンなんだ」と。

CAREER PASS

START
鈴鹿製作所にて工場研修。
Honda Carsにて販売店研修。

  • STEP.01

    2006/10~2010/3

    先輩のPLに付きながら、CBR1000RR、VFR1200F等の開発に従事。ボルト1本の締め方にまでこだわり抜く、Hondaのバイクのつくり方に心を打たれる。

  • STEP.02

    2010/3~2015/8

    電装領域テストPLとして、NC700シリーズ、CBR600RR等の開発に従事した後、RC213V-Sの開発を推進。

  • STEP.03

    2015/8~

    鈴鹿8耐などの参戦用レースマシン開発に従事。多様な市販車からレースマシンまで、あらゆる二輪開発に就くことが可能なHondaならではの醍醐味を実感中。

STAFF