海も国境も飛び越える、
オールHondaのチーム力。
それが私の仕事のエンジン。

1999年入社

"購買"

深見 香織/KAORI FUKAMI

本田技研工業(株) 購買本部 四輪購買統括部
法学部 法学科 卒業

どこまでも遠くへ、
一緒に走っていけそうな
Honda。

いつも私のそばにはHondaがいた。“CB400”。Honda伝統の400ccバイク。私の大学時代の相棒だった。共に峠を越え、山の音を聴いた。海へと下り、潮風の匂いをかいだ。どこまでも一緒に走っていけそうな、そんな安心感を抱いていた。「だから就活もHonda一本」と、本当ならば言いたいところ。でも少なからず悩んだ。私は警察官にもなりたかったのだ。“正義の味方”というと気恥ずかしいけど、世のために働きたいと思っていた。考えた末に至ったのは「やっぱり好きなモノのそばにいたい」という想い。就職難の時代だったため、“二輪”を軸にほかのメーカーも受けた。会社がどこになるかはわからなかった。しかし、私には、メーカーでやりたい仕事については強い意志があった。

「お父さん今度はどこへ行くの?」「ドイツだよ。」私は幼い頃から父が日本を発つ姿を目にしていた。父の仕事はグローバルメーカーの購買。高校生にもなると、その仕事のダイナミックさがよく理解できるようになった。世界中の取引先を訪問して、膨大な数の部品や資材を調達する。それらを製造する工場に行って、ラインの立ち上げや改修にも携わる。各部品の設計者と図面の詳細をつめたり、現場の技術者とラインのコンセプトを練ったりもする。父が楽しそうに仕事を語る様子を見て、モノづくりにも興味がわいたし、購買はそれを支えるすごい仕事だと感じた。そして、理系でないと関われないと思っていたけれど、「購買なら文系の私もモノづくりの現場に関われる!」と思った。メーカーに行くなら購買の仕事。就活時にはそう決めていた。

購買という仕事の重みも感じていた。大好きなバイクも、1つの部品が足りないだけでバイクではなくなる。たった1本のネジがなくてもだ。たとえばいまのHondaのバイクは約2000点、クルマは約2万2500点の部品でできている。それくらいたくさんの部品を、品質・コスト・開発戦略を練って世界中から調達する。まさにモノづくりの屋台骨だ。「だから購買をやりたいんです!一生やりたいんです!」と、Hondaの面接でも熱弁した。そして後日、電話が鳴り、「Hondaと一緒に働きませんか?」と言われたのだった。この言葉に、グッときた。単なる内定通知じゃないこの言葉に。それは私に「あなたは僕たちの仲間です。」と響いた。Hondaならどこまでも遠くへ一緒に行けそうな気が、再びした。

相手をまず受け止める。
そこにチームが
生まれてくる。

1999年の入社以来、購買ひとすじ。念願どおりの人生になった。最初は埼玉・朝霞のR&Dセンターで汎用製品と二輪車を担当。2005年からアメリカへ駐在し、二輪車、次いで四輪車を担当。2008年の帰国後からは栃木の四輪R&Dセンター。Hondaの購買は、製品を問わず同じ使命を負う。まず“供給責任”。部品の供給リスクを管理して、最終的にお客さまへ製品が届くことを何が何でも守る。次に“競争力強化”。より安い製品をめざし、部品メーカーと一緒にコストダウンに努める。さらに“取引先開拓”。業界動向を把握・予測しながら、新しい部品メーカーを探す。これらの使命を、世界を舞台に、各研究所・製作所・営業部門と連携しながら追いかけていくのがHondaの購買だ。そして、その中で何よりも大切になってくるのがチームプレー。そのかけがえのなさを、私はアメリカ駐在時代に痛感した。

オハイオ州にある“Honda of America Manufacturing”。私の目の前には四輪車部品のアメリカ人購買スタッフが集まっていた。当初、二輪車部品のコストダウン推進役として海を渡った私が、入社以来はじめて四輪車担当になった頃だった。議題は“競争力強化”。「あの町に安い部品メーカーができた。いまの取引先をやめてそこにしよう。」と簡単に話を進めていた彼らに、私が待ったをかけた。それはHondaの購買の精神に反すると思いながら。Hondaの製品がたくさんの部品でつくられているように、Hondaの事業もたくさんの部品メーカーで成立している。短期の収益性だけでイージーに切り替えてはならない。Hondaはその取引先の社員や家族の生活も背負っているのだ。だが、私はまだオハイオの真の仲間になれていなかった。日本からの来訪者。英語もバッド。「彼女は四輪のことをわかっているのか?」というムードもあった。

私にはポリシーがある。まず相手の意見を聞くこと。どの人も「これがHondaのためだ、お客さまのためだ。」と考えて意見を言っているのだ。それをはなから否定してはいけない。特に多くの人と進める購買の仕事ではそうだと思っている。このときも、まず耳を傾けると、短期的な収益性の話が多く、長期的な検討が足りないということに気付いた。そこで、協力的だったルイス(仮名)というパートナーの助けもかりて、彼らに長期的な収益性のシミュレーション表を作ってもらうよう頼んだ。実は、私は、すでにシミュレーション表を作っていたのだが、その表を彼らには見せなかった。彼らがどうしていきたいのか考えて、出てきた意見を聞いたうえで、自分がどうしたいのかという論をフラットにぶつけたかった。だから、その時を待ったのだ。そして後日、彼らの表を見てから私の表を見せ、比較検討。すると「あれ?」「カオリの案のほうがグレイトだな!」となった。氷が融けた。真のチームが生まれた。以後みんなが同じ方向を見はじめ、団結力が強くなった。そして、まもなくこの団結力に、日本が救われることになるのだった。

Hondaの団結力は
太平洋だって越える。

2007年7月。早朝に起床して、いつものようにテレビでニュースを見る。日本で地震が起きたと報道されているが、被害の大きさがわからない。何だか胸騒ぎがして、とっさに日本の上司の携帯へ電話した。「いま新潟へ向かっている!自衛隊だらけで深刻な事態だ!」すでにお客さまへの納車を止めかねない危機的状況になっているという。新潟県中越沖地震。思った以上に、日本の被害も北米の仕事への影響も大きかった。日本海側には主力の四輪車部品メーカーが集まっている。「深見、可能なかぎりの部品をすぐにアメリカから送ってくれ!」日本側で生産が決まっていたクルマは1日単位で約500台。まずは当日分の部品が喫緊の問題となった。しかしこれだけの台数に必要なあらゆる部品を、アメリカ側の生産も守りながら、緊急調達するのは絶望的だった。フロント周りだけでも1台につき800~1000の部品が必要になるのだ。しかも調達だけでなく梱包も輸送も必要。すぐさまルイスにも連絡した。私が各方面との調整に追われる中、彼がメンバーとの緊急ミーティングを開いてくれた。

「みんな、スクランブル体制だ。不可能を可能にするんだ!」ルイスのサポートのもと、驚異的なチーム力が発揮された。特に強力な味方として現れたのがブラッド(仮名)。駐在当初の私とよく衝突し、なかなか打ち解けてくれないリーダー格だった。「カオリ、俺がすぐに工場側のキーパーソンを集める。偉い人も片っ端から呼ぶ。君から詳細説明をしてくれ!」数時間も待たずにその場を設定。調達、デリバリー、梱包のオールHonda体制が築かれていった。また、メーカー商社・ホンダトレーディングのオハイオ支店も出動。私ひとりなら10日かかる輸送手配を即日でしてくれた。まさに総力戦。そしてその結果はというと…何と、その日のうちに、必要な部品を調達して最終便で輸出。車の足回り部品とエンジン部品を構成をする、約1500台相当の部品を送ることに成功したのだ。その後も事態収束の日まで一致団結支援がつづく。彼らのおかげで供給責任を全うしきることができた。

仕事はひとりではできない、特にHondaの購買はそうだと、私はこの経験で心底から感じた。日本のため、お客さまのために、必死で駆けずりまわってくれたルイスやブラッドの顔を忘れない。私には、まだ行ったことのない国がたくさんある。そこへ行って彼らのような頼れる仲間を増やしていくこと。それが私の不変の目標といえる。一方で、私は担当する製品に関しては新しい夢も抱いている。“4次元の製品”だ。夢ではあるが、夢物語ではない。たとえばインターネットだって4次元的な時空のツールではないか。事実、Hondaには4次元への想いを語る役員もいるのだ。人づてに聞いた話だが、その方はこう言っていたらしい。「Hondaはいろんな3次元の乗り物をつくってきた。次はやっぱり4次元だろう。いま日本にいる自分が1時間後には外国にいる、そんな未来にしたいよな」と。Hondaには、夢があり、仲間がいる。