人とロボットが支え合う
その日を見届けるまで、
暗中模索の旅を
僕は喜んでつづけるだろう。

2002年入社

"基礎研究"

城倉 信也/SHINYA SHIROKURA

(株)本田技術研究所 基礎技術研究センター
理工学研究科 開放環境科学専攻 修士課程 修了

衝撃を“与える側”
になるために。

「すげぇ・・・」 テレビに映し出された光景を見て、僕はド肝を抜かれた。人間型自律二足歩行ロボット“P2”。確かそれはプロトタイプ2で、身長182cmのカラダを30ある関節を巧みに動かし、時速2キロで歩いてみせた。子どもの頃からモノをつくることが好きだった。ロボットコンテストも面白がって観に行ったりもした。ただ、「ロボットの研究がしたい」と本気で思ったのは初めてだった。衝撃を受けた僕は決心した。「衝撃を“与える側”になるぞ」と。高校生のときだった。

大学でロボット工学を専攻した僕は、“運動能力”の極限に挑戦するエアリアルスキーロボットの研究に没頭した。「空中を飛び、カラダを捻り、宙返りして着地するためには、どうすれば・・・」 G難度の動きを制御する技術。しかし、それはあくまでも研究室の中で生きる特殊なロボット。僕は舞台を企業に求めて就活をスタートした。ヒューマノイドロボットの研究に名乗りを上げる企業が、ゾクゾクと現れた時期でもある。ただ、僕は迷わずHondaを選んだ。“人の役に立つロボットをつくる”という夢の大きさで、自分の中ではピカイチだった。

2002年。入社した頃のASIMOの研究は、二足歩行の次のステップに進んでいた。「こんどは“走って”もらいたいなぁ」。それが研究チーム全員の総意だったらしい。配属された僕は、ワクワクしながら実験施設にその姿を見に行った。しかし・・・走るはずのASIMOは、“一歩飛ぶ”だけでもフラフラだった。頭を抱えながら先輩がつぶやいた。「走っている方が遅いなぁ・・・」二足歩行のスピードは、すでに“早歩き”もできる時速2.7キロまで到達していたのだ。研究員となった僕に課せられた最初のミッションは、「歩くASIMOよりも速いASIMOを」だった。

将来役に立つモノには、
答えがない。

“走る”ときの自分を想像してみてほしい。その動作を分解すると・・・床を蹴る→カラダの上下動をコントロールする→空中でカラダをかがませてバランスをとりながら移動→着地して衝撃を吸収→蹴る力を蓄えて再び床を蹴り・・・となる。これを繰り返すと“走る”になるわけだ。では、どうすればASIMOは走れるのか。「わかったら苦労せんわ!!」誰の顔にもそう書いてあった。着地した瞬間に体勢を崩す原因にしても・・・「床でスベるのが先なんですかね?」「バランスを失うのが先かもしれないな」「そもそも着地のタイミングがズレているのでは?」・・・突き止めること自体が困難だった。みんなで思いつく限りの仮説を出し合い、実験で一つひとつツブしていく。最後に残った仮説が正解。残らなかったら振り出しへ。一事が万事、この調子。ASIMOと走りつづける研究チームの宿命だ。

「技術の前ではみな平等だ」 創業社長の言葉はホントだった。何か問題が起きれば、「なんだ!」「どうした!!」といろんなところから人が集まってきて、ガヤガヤやりだす。立場も肩書きも関係ない。新人も意見を言うし、ベテランも口を挟む。採用されるかどうかは、どれが“正解か”ではなく“いちばん可能性が高いか”で決まる。Hondaに入ってつくづく思った。ロボット研究はチーム戦。機構系、電装系、認識系・・・いろんな分野の研究員が、いろんな技術を持ち寄る。そして、将来役に立つモノの姿をともに探っていく。だからこそ、“暗中模索の旅”でも喜んでつづけられるのだ。タテ割の組織で役割分担をしていては、先へ進めないし、なにも生まれない。みんなで支え合わなければ、ロボットは走るどころか倒れてしまうのだ。

2004年。歩くASIMOよりも速い、時速3キロで移動できるASIMOが完成。ただ、“走っている”と豪語できるほど速くはなかった。僕たちはさらなるスピードアップに挑んでいった。「足の長さは決まっている。ということは・・・」「一歩の“長さを伸ばす”か“時間を短くする”か、どちらかですね」「足が床に着いている時間を減らしていくには・・・」 両足が床から離れている時間を長くする。そのための格闘がはじまった。速度が上がれば上がるほど、一連の動作に精度が求められた。しかし、精度を上げていくと、こんどは別の問題が次々と顔を出してくる。“遅いとき”には起こらなかった不具合だ。トライ&エラーの繰り返し。気の遠くなるような毎日。研究チームの一員となって以来、僕にとってもっとも手のかかるASIMOの成長期だった。

努力は、必ず報われる。
積み上げこそが、実を結ぶ。

2006年。ASIMOは、誰からも認めてもらえるスピードを身につけた。時速6キロ。青山本社に設けられた特設会場に持ち込んでの発表&記者会見。僕はステージの袖から、固唾を飲んでデモンストレーションの瞬間を見守った。そして・・・「おー!」「走ってるぞ!!」「人が中に入ってるんじゃないのか?」歓声と途絶えないカメラのフラッシュで、苦労はぜんぶ吹き飛んだ。そして、僕は思った。「衝撃を“与える側”にちょっとは立てたかもな」 研究室のある和光に戻り、僕たちは祝杯を挙げた。そして、研究チーム全員がそれぞれに口にした。まとめるとこうだ。「走るのもいいけど、“別のこと”にも挑戦してもらいたいよな」 ケンケンする、両足で跳ぶ、倒れそうになったら足をつく・・・。それは、走るために培った運動能力を、バランスを保つ能力に進化させること。気の遠くなるようなオモシロイ毎日が、再びはじまった。

ASIMOがプロトタイプで時速10キロに達した頃、僕は隣の研究室が気になっていた。そこで、研究員が跨がり動き回っていたものは、見たこともない“乗りもの”だった。「すげぇ・・・」ASIMO のバランス制御技術を応用した電動乗用一輪車“U3-X”。ヒューマノイドロボット研究の成果を、量産製品への転用や応用製品の実用化に活かす、“Honda Robotics”から生まれたものだ。そして2011年、運命的な辞令を告げられる。僕はこの新しいモビリティの研究チームに合流。U3-Xを進化させた“UNI-CUB(ユニカブ)”の開発に着手した。「乗る人の“思いどおり”に動くモビリティをつくろう」特徴は、“カラダを傾ける”だけで動いてくれること。全方位駆動車輪機構を搭載し、360°どの方向へも移動できるようにした。

多くの人に見て、乗ってもらわないと、研究の是非はわからない。そこで、実証実験を開始した。場所は、東京の日本科学未来館。「斜めにも動けるんだ!」「ぜんぶ見る前に疲れて帰ることもなくなりますね」 評判は上々だった。いただいた声をもとに、現在は2号機“UNI-CUB β”の開発に取り組んでいる。乗る人の“意図”を汲み取るといっても、動きはまだギコチない。「わかったら苦労せんわ!!」という問題が多いのだ。ASIMOは、本人の運動能力を上げていくことがテーマだった。ただ、このモビリティには、人と“調和”できる能力が必要だ。何年かかるかわからないけれど、育てていきたいと思う。ショッピングモールや空港など、いろんな場所で役立ててもらえるように。そして、人の中へ入っていけるロボットとして“衝撃”を与えられるように。