Hondaは問う。
志や信念をもって
働いているか、と。

2008年入社

"生産システム"

伊藤 文人/AYATO ITO

本田技研工業(株) 四輪事業本部 四輪生産統括部
法学部 政治学科 卒業

世界を想い、
高く掲げる志。
それが僕とHondaの
共通項。

僕は、いまでも戦禍の記憶が刻まれている広島に生まれた。子どもの頃から、ある想いが胸にあった。“国際平和”。「すべての人が幸せに暮らせる世界にしたいな。大人になったら、僕はそのための仕事をするぞ」子どもながらに漠然と、しかし強くそのように思っていた。大学で選んだのは政治学科。専攻したのは社会学。当時の僕は、平和で人々が幸せな世の中をつくるためには政治の力が必要だと思った。争いごとのない社会はいかにして可能かも学びたかった。大学卒業後は、政治家を志す道もあっただろう。国際公務員をめざす道もあったはずだ。でも僕は、行政機関や非営利組織ではなく、“企業”を選んだ。

社会の負は往々にして国の経済状況に起因する。ならば経済をよくすることで、社会の負をなくすことができる。それでは世界各国の経済を、雇用を生むなどして、現実にドライブしている主体者は誰だ?そのように考えて、僕は世界に出て勝負している“企業”に身を置こうと思ったのだ。けれども、自分にふさわしい会社はどこなのか、その答えを見定めるのは難しい。就活では商社や他のグローバルメーカーも受けた。だけどなかなか決めきれなかった。しかしHondaについては、知れば知るほど共感が深まった。例えば、世界へ雇用を生むという思想を前面に打ち出していたこと。Hondaの思想は、単に「製品を買っていただくことで世界を豊かにする」というだけの域を超えていた。

「我々は世界中へ喜ばれる製品をお届けしたい。しかしその製品を買っていただくにはおカネが必要である。だから各国の中に生産体制を築いて、現地で雇用を生むことに努める」明快で、意思に貫かれた、そのようなHondaの思想が僕に響いた。だけどHondaに惚れた点はもう一つある。製品がクルマやバイクだけじゃなかったこと。発電機・耕うん機・芝刈機といった生活に役立つ汎用製品を、各社会の必要性にあわせて根付かせようとしていたことだ。僕の中にある「世界幸福のために世界中の雇用を増やしたい」という想い。それを生涯かけて追求していけるくらい豊富なツールが、Hondaにはそろっていた。僕は、自分の想いを、Hondaでの志として一つひとつ叶えていこうと決めた。

信念があるなら、
結果を恐れる
必要なんてないんだ。

僕は浜松製作所の生産管理に配属された。四輪トランスミッションの生産計画を立て、最適な生産体制を築く仕事。自分の志と強く関係する仕事だった。生産計画に基づいて現場の人員計画が立てられ、雇用者数も決まっていくのだから。しかし僕は早々に現実の厳しさを知ることになる。配属約2ヶ月後。リーマンショック。生産ニーズがなくなっていく。現場の仕事が減っていく。みんなの仕事を確保しようと、必死で活路を探した。けれども策が見つからない。「世界の雇用創出という志をもってHondaに入ったのに、足元の雇用を守ることすら危うい…でも絶対に何とかしてやる!」1人で答えが出ないなら相棒を探せ。二つ上の先輩と共に知恵を絞り、ある苦肉の策に至った。「同じくトランスミッションをつくっている鈴鹿製作所に、仕事を分けてもらえないか頼んでみよう」鈴鹿は浜松より打撃が少なかったのだが、深刻な状況だったことに変わりはない。何言ってんだ!と一蹴されるかもしれない。上司に相談すると「お前がやるべきと思うことは、何でもやってみろ。責任は俺がとる」はたして鈴鹿は、僕たちの頼みを呑んでくれた。Hondaという同じ船に乗る仲間を守るために。浜松に活気が戻ってきた。

この経験は、僕に三つのことを教えてくれた。雇用を守ったり創ったりすることの至難。いざというときのHondaの連帯力。僕のような若手にも、「何でもやってみろ」と旗ふり役を任せてくれるHondaの風土。そして、僕はこの風土に、東日本大震災後の有事対応でも背中を押されることになる。震災後、工場機能が支障を来した。国内だけでなく海外へのトランスミッション供給も停滞。海外拠点での完成車製造を止めかねない状況にまでなった。特に危ぶまれた供給先は、需要の高い中国。お客さまへの納車が滞るような事態は何が何でも阻止せねばならない。だから、と僕は考えた。日本でつくれないなら、中国の現地法人でつくる生産体制を構築して、そのまま完成車に組立てて販売すべきだと。それがお客さまへの正義であると。それに、そもそもそうした“地産地消”は、普段から僕やHondaが言っているあるべき姿でもある。それによって現地での雇用も増える。しかし、実際にその選択を実行するのは勇気がいることだった。日本側の先々の仕事まで失くしてしまうかもしれないのだから。僕自身、リーマンショックのときの経験からも、仲間たちの仕事を守りたいと強く思っていた。僕は苦悩した。

悶々とし続けていたある日、当の現地法人の社長から連絡が入った。その社長は、僕が入社した頃の浜松製作所の工場長だった。「こっちへ来い。話を聞かせろ」中国へ飛び、自分が考えている選択について説明し、実は悩んでいるとも打ち明けた。すると彼がこう言った。「お前は信念をもってその選択ができるのか?もしそうなら、結果はどうだっていいんじゃないのか?」この金言で、目が醒めた。すべてはお客さまのためだという信念。地産地消こそがそもそもの理想だという信条。すべてはそれらを出発点にして考えたことだった。この選択を曲げることは信念を曲げることだ、ブレてどうするんだ、自分をそう奮い立たせることができた。また、リーマンショックの際に、上司から「何でもやってみろ」と言われたときのことを思い出した。会社にとって重大な意味をもつ局面でも、若い僕の行動に、ブレーキをかけるどころかアクセルを踏んでくれるHondaの風土。これが再び僕の背中を押してくれた。胸を張って帰国し、真っ正面から自分の構想を上司へぶつけ、やがて現地生産へ切り替えるという意思決定がされた。正直に言う。僕はいまでもこの選択が正解だったのかわからない。でも、正解だという信念で自分を貫いた。

未知なる国へ、
Hondaと、
雇用を。

その後、僕は東京本社へ異動した。日本・北米・南米・欧州・中国・アジアでつくられる四輪車。そのあらゆる部品の生産・販売計画を策定している。自分の生販計画によって、世界中の現地法人や部品メーカーの生産体制が決まり、各国で雇用が生まれていく。そのことを思うと身が引き締まる気持ちだ。海外出張も増えた。海外の生産拠点や部品メーカーを訪れると、Hondaがいかにたくさんの雇用を生んでいるかを実感できる。

志のための、今後の視界もひらけてきた。いまの仕事は、営業・生産・購買部門や各国の部品メーカーとも連携して、グローバル物流の全体最適を図るもの。モノ・カネ・ヒトの動き全体を地球規模で見渡すことができる。その中で得られる知見が、例えばHondaが未開拓の国で新しい事業をはじめる際などに、大いに役立つはずなのだ。僕は今後、Honda製品がまだない国で、事業を立ち上げる仕事をしてみたいと思っている。

四輪事業でもいい。二輪事業でもいい。だけどいつかパワープロダクツ事業でもその挑戦をしたい。世界には、高価なクルマやバイクよりも、発電機や耕うん機などを必要としている地域がある。そこへ真に役立つ商品を届け、現地に生産体制を構築し、雇用を生むというサイクルを築きたい。多様な商品があるHondaなら、そして世界幸福を想うHondaなら、文字通りすべての国の雇用を増やしていけるはずだ。生涯をかけて。信念をもって。地球上のすべての国に対して。僕は自分の志を叶えていく。