誰もがハッピーになるまで
育ててこそビジネス。
Hondaだけが
生き残っても意味がない。

2004年入社

"海外営業"

尾前 優子/YUKO OMAE

本田技研工業(株) 二輪事業本部 営業部
外国語学部 地域文化専攻 卒業

人々の生活を
少しでも豊かに
できるような、
自分になりたい。

南アメリカ西部に位置する共和国、ペルー。大学時代の数ヵ月間をそこで過ごした。植民地時代からの公用語であるスペイン語を専攻していたこと、そして、文明の名残を自分の目で確かめたかったことが、留学先として選んだ理由だ。暮らし始めてまず感じたのは、貧富の差。想像以上に激しかった。「これ、まともに走るのかなあ・・・」街ではクルマも見かけたが、明らかに数世代前のモデルが鞭を打たれるように走り続けていた。窓ガラスにはヒビが入り、ドアもちゃんと閉まらない。それが当たり前。ナスカの地上絵やマチュピチュとは違う意味で、大きなカルチャーショックを受けた。

「人々の生活を少しでも豊かにできるような自分になりたい」そう思うようになった私の原体験だ。それは、「日本がもつ技術を活かせる仕事に就きたい」という目標になり、「メーカーに就職して海外営業をやりたい」という欲望に変わっていった。そして、頭の中に浮かんだのがHondaという名前だった。というのも、ペルーでガイドブックを片手にあちこち旅をして以来、“移動すること”が私の一番好きなことに。だからクルマにもバイクにも飛行機にも、乗り物といわれるモノにはすべて愛着を感じるようになった。「生活を豊かにする+日本のモノづくりを世界に+モビリティ=Honda!」すべてが自分の中でつながった。

私のHonda人生は、二輪人生だ。風を感じながら、自由気ままにどこへでも行ける。相性はピッタリだった。最初の配属先は、生産管理部門。カタチなきものがカタチになっていく光景にゾクゾクしながら、国内の製作所でモノづくりの現場を学んだ。そして、入社してから4年が過ぎた頃、思い出したかのように上司が声を掛けてきた。「尾前、そういえば海外営業やりたかったよな?」諦めかけていた欲望を、ついに満たせるときが来た。担当を命じられたのは、欧州の市場。完成車を輸出する船積み業務を経て、念願の営業職に就く。ただ、風向きは完全にアゲインストだった。

“海の向こう”で
起きていることを、
“想像”しながら
働くジレンマ。

Hondaの二輪は欧州で苦戦を強いられていた。「販売強化と収益改善のために、やれることは何だろう」青山のオフィスで、思いつくかぎりの施策を打ち出した。ただ、悩ましい問題を抱えていた。「私は“日本”で仕事をしている」買ってくれるお客様も、売ってくれるディーラーも、届けるマーケットも、すべてが“海の向こう”。正しいのか、机上の空論なのか。ジレンマだった。「自分の目ですべてを確かめたい」私は思い切って、“駐在に行きたい”という意思を上司に伝えた。人材育成制度“トレーニー”のメンバーに選ばれれば、海外で2年間活動できる。幸運だった。赴任先は欧州。私は“Hondaフランス”で働くチャンスを得た。

フランスに関わらず、欧州での二輪ビジネスはずっと、大型二輪を主力商品とした“ニューモデル頼み”だった。新機種が出れば、販売は伸びる。ただ、持続力はなく、ほとんどが一瞬のブームで終わっていた。これ以上つづけば、市場の縮小→収益の悪化→開発費の圧縮→新機種の未投入・・・。“負のスパイラル”がまさに始まりかけていた。そこで二輪事業本部がとった作戦は、コスト競争力や収益力に優れた“小型コミューター”の開発だった。先進国から進展国までカバーできるグローバルモデルとして誕生した“PCX”。125ccの期待の星は、トレーニーが現地で始まった直後にHondaフランスにも届いた。

スタイリッシュなデザイン。リーズナブルな価格。PCXのフランスでの反響は、予想を上回るものだった。「久々のヒットだな」「こんなに売れたのは何年ぶりだろう」私は一緒に販売戦略を練り上げた現地のチームと祝杯を挙げた。ミーティングを繰り返した300を超える現地のディーラーも喜んでくれていた。お客様も含めて“海の向こう”にいた人たちの笑顔を、目の前で見ることができた。販売台数は年間8,000台に届く勢いで推移。同じカテゴリーでトップに君臨する他社のスクーターが約10,000台だったことを考えれば、導入1年目は大成功といえた。しかし、その勢いは2年目に入って衰えていく。「いつもの流れに呑みこまれたらおしまいだ」。ブームで終わらせないために、販売強化と収益改善のためのプロジェクトが立ち上がった。

育てることは、
生み出すことより
難しい。

販売チームと議論を繰り返し、みんなで知恵を出し合った。そしてたどり着いた答えは、“用品”を活用したパッケージ販売だった。狙いは、1グレードしかないPCXに、カスタマイズされた“上級グレード”を設定すること。それは、あたかも”新機種”が追加されたような効果をもたらしてくれる。これはHonda本体の手を借りずに試みる、フランスで初のケースであり、「どんな用品を付けたら喜ばれると思う?」「ファッション性と快適性のアップをテーマにしましょう」 と会議は盛り上がっていった。そして、私たちはパッケージにする用品を3つに絞りこんだ。ステップ部分を飾る“アルミプレート”。無機質な印象を変える“マフラーガード”。硬いとあまり評判が良くなかった“シート”も取り替えることにした。純正用品にはこだわらず、他社ブランドのサプライヤーとも契約したことは、Hondaの二輪として初だった。しかし、そこに落とし穴が待っていた。

「システムに入力する発注コードがない・・・」イレギュラーなプランだっただけに、受注から取り付けまで何かにつけて今までの“商流”には乗れなくなった。そうかと思えば、また別のメンバーが呟く。「外したシートは捨てるのか?」結局、ディーラーの倉庫で外す→サプライヤーに送る→表面のデザインとクッションを変える→返送してもらい再び取り付けるといったプロセスを構築していった。そこで、大きな問題になったのが“納期”だ。大型二輪のような“嗜好品”なら、お客様は待つ時間を惜しまない。ただ、125ccのスクーターは“普段の足”。待ってくれても10日がいいところ。「既存のシステムで回せるところは回す。人の手が必要であれば使う。複合技でいくしかない」販売にこぎつけること在りき。チーム誰一人として“計画変更”や“中止”を口にするメンバーはいなかった。

パッケージ販売は、お客様に喜ばれた。“上級グレード”が2年目の販売台数を伸ばしてくれた。大事なことは、問題を乗り越えるためにどうするか。“How”を経験できたことがトレーニー時代の大きな収穫だ。ビジネスを生み出すことはきっと簡単で、むしろ育てることのほうが難しい。値段を上げれば、お客様をがっかりさせる。下げれば、ディーラーが苦しむ。Hondaだけが生き残っても意味がない。信じてついてきてくれるお客様が、ディーラーが存在するかぎり、私たちの挑戦はつづく。みんなが共存できてハッピーになれること。それが私のポリシーだ。フランスでの体験は、帰国後に就いた二輪の商品企画の仕事に活きている。「この商品なら、あのヒゲのおじさんが欲しいと言ってくるかも」。お客様の笑顔を浮かべながら企画を立てられる幸せ。入社前に想像した以上の喜びを今感じている。