PROJECT STORY

Driving the Edge

"Global Sales"

未曾有の金融危機との戦い

危機を好機と捉え、難局を制する。

A00

影響を最小限に抑えてリーマンショックを乗り切り、
メキシコの人々の生活に密着した
パワープロダクツ事業を育む

STAFF

鷹巣 浩二郎

KOJIRO TAKASU

アジアンホンダモーター(タイ)駐在 主任
2003年入社 政治経済学部 政治学科 卒業
◎入社後、汎用製品の営業としてアフリカ地域を担当。ナイジェリア現地法人の販売網開拓、ケニアの販売代理店立ち上げ支援等に従事。◎2005年、欧州地域を担当。代理店統括、ロシアの新現地法人の支援等に従事。◎2006年6月、“Honda de Mexico”駐在。◎2010年10月、帰任。北米・南米全域の販売管理・支援等に従事。◎2013年4月から商品企画に従事。欧米を中心に、歩行芝刈機や家庭用自動運転芝刈機“Miimo”の商品企画・導入を推進。◎2016年、タイ現地法人“Asian Honda Motor”に駐在。アジア・大洋州地域の事業戦略策定や商品企画等を統括。

STORY

突如の襲来。機敏な反応。

SCENE01

Hondaのパワープロダクツ事業の歴史は四輪事業よりも長い。源流は1953年。過酷な労働環境下にあった日本の農村を助けるため、創業者・本田宗一郎が農機用エンジンを完成させたことに遡る。全ては『人々の役に立つために』。多彩な汎用製品を150ヵ国以上に届けている現在も、この原点は変わらない。例えば電力供給が充分でないアフリカの地域では、Hondaの発電機がひとつひとつ闇夜を照らしている。メキシコでは水ポンプが農家の人々を支え、干ばつや洪水などの災害時の給排水も助けている。1つ1つの製品に、人々の生活を支えている重みがある。だからこそHondaの人間は、現地で製品を販売してくれる人たちとの共存共栄を守り続ける。

2006年6月。入社4年目、鷹巣はメキシコの地を踏みしめた。現地法人Honda de Mexico(HDM)への、26歳での駐在。駐在員に求められること、それは自らが直接お客様に製品を売るのではなく、売るための仕組みをつくることである。お客様へ販売するのは現地の販売店のスタッフであり、その販売店もHonda資本の販売店ではない。地場資本の販売店が、他社製品と一緒にHonda製品を取り扱っている。駐在員は、販売店と一致団結し、お客様に“買う喜び”を感じて頂くことで、販売店のHonda製品を“売る喜び”を育み、Honda現地法人の製品販売台数を伸ばすサイクルを作っていく。鷹巣の赴任後、HDMの製品販売台数は過去最高をマークした。赴任時の約4万台が2年後には倍増。10万台の大台をめざそうと意気が上がる中、突然、それはやってきた。

2008年9月、リーマンショック発生。新興国であるメキシコから、安全な先進国へと、マネーが一気に流れていく。為替は数日間で大暴落した。「これはまずい……」。メキシコの日常生活にまだ影響は出ていなかったが、すでに自分たちが分厚い暗雲に覆われてしまっている現実を、鷹巣ははっきりと認識していた。すぐさまHDMの社長や会計部門の駐在員と話し合った。「為替変動が激しすぎます」「カネ軸の管理に細心の注意が必要だ」「製品の輸入数量を最低限に絞る必要もあります」。業績を伸ばし続けていたHDMは、すでに膨大な数量の製品を各国の工場へオーダーしていた。鷹巣はまず各工場へ緊急連絡を入れて差し止めを要請。次に各販売店の状況把握に奔走した。

1つになれ、全員が同じHondaという名の人間だ。

SCENE02

何よりの急務があった。現地営業担当者たちとの危機感の共有だ。一枚岩になれなければこの怪物とは戦えない。鷹巣はまず10歳ほど年上の営業マネージャー、ホルヘに伝えた。「販売店からの入金状況をしっかり管理していく必要があります。販売店にも、お客様からの支払いの管理をしっかりやってもらうよう伝えなければいけません。販売店も、我々も、守りを固めないと存続に関わる事態になります」。ホルヘは面食らっていた。無理もない。報道で大騒ぎされているとはいえ、身辺ではまだ変化がないのだから実感が薄い。それについ数日前までは売れゆきが絶好調で、いつまでもそれが続くかのように感じていたのだ。しかし今、事態は急変し、すぐにでも大波がやってこようとしている。そしてその波に吞み込まれないためには、販売店に対して本意ではない話もしていく必要があると、鷹巣は直覚していた。販売価格の値上げという苦渋の選択である。空前の為替大暴落を前にしては、値上げに踏み切らざるを得なかった。販売店と日頃から接している営業全員が一心一体になれなければ、理解を頂けるはずもなかった。

腹落ちするまで話し合った鷹巣とホルヘは、二人三脚で現地担当者たちの陣頭指揮にあたった。2人はこのように口火を切った。「販売店にとっては、我々は全員が同じHondaの人間だ。誰ひとりブレることなく同じことを伝え切らなくてはいけない。1つになろう。1つになる力で、この危機に打ち勝とう」。Hondaには昔から守り続け、これからも絶対に守り続けていく断固たるポリシーがある。いかなる時も販売店と一心同体であり続けるということだ。自社の生き残りだけを考えて、メキシコから事業を撤退するような真似はしない。厳しいお願いもせざるを得ないが、我々を信じてぜひ共に戦ってほしいと、全ての販売店に伝え切ってほしかった。日本とは文化が違い、個性も多様な彼らを1つにするのは難しい。納得のゆくまでとことん話し合い、意識改革を図っていった。

営業メンバーたちは販売店のもとへ急いだ。鷹巣自身も40店ほど駆け巡った。当然「値上げ?なぜ!」という反応が待ち構えていた。そんな時、鷹巣のHonda人生の中で最も打ちのめされた出来事が起こる。長年一緒に頑張ってきた販売店が夜逃げをしてしまったのだ。

乗り切るだけでなく、飛躍するんだ。

SCENE03

債権未回収の“焦げ付き”。鷹巣は人を憎まず自分を責めた。失意のどん底にいた時、HDMの社長から声をかけられた。「挫けるな。俺も若い頃に似たような経験をした。自分のすべきことを最後までやり切れ」。鷹巣は再び前を向けた。実は彼の胸には、この事件が起こる少し前から逆転の発想が兆し始めていたのだ。ピンチをチャンスと捉えること。目の前の難局だけを見るのでなく、その先の飛躍を見通して、HDMと販売店の事業体質をさらに強めていく仕込みをすること。それが今、“自分のすべきこと”だと、思い直すことができた。駐在員は任期を終えれば帰国するが、駐在員がしたこと=Hondaがしたことは、現地で語り継がれていく。その場しのぎで済ましてなるものか。

まずはHDM内に事業を守る強靭なオペレーション体制を構築。念入りな営業メンバー研修も始め、各販売店にも輪を広げた。例えば販売店先でのHDM営業陣によるスタッフ研修。販売増に向けた売り場づくり。現地から撤退していく企業も増える中、こうした支援が共存共栄を志すHondaのメッセージとして浸透していった。HDMの営業メンバーにとっても、飛躍の機会になった。全員が自らの言葉で、想いを込めて、あらためて語るようになれたのだ。Hondaの想いを。いち早く海外展開してきた事業の歴史を。未来永劫、変わらない事業姿勢を。“Hondaが地域に根付く”とは、このようなことをいう。

2009年に入ると、やはり各社が価格を大幅に上げ始めた。その中でHDMはミニマムの上げ幅に抑え、Hondaのメッセージもさらに地域へ根を張っていった。「安心した」「HDMとは腰を据えて一緒にビジネスができる」「Hondaはメキシコの同志だ」。そんな声が届き始めた。未曾有の危機との戦いは約1年。HDMと販売店の絆が深化した1年だった。

2010年秋、鷹巣の任期が終わる。「あの1年を忘れずに頑張っていく」と、ホルヘが送別の言葉をくれた。きっと彼も実感したのだ。危機は飛躍のためにこそあるのだと。前述の販売店支援は、今もなお継続されている。HDMの製品販売台数は、その後10万台の大台を突破した。