PROJECT STORY

Driving the Edge

"NSX"

新型NSXのグローバル商品企画

自分がいる。そう胸を張れるブランドを。

A00

NSXの復活を成功へ導き、
Honda/Acuraのブランド価値を向上させる

STAFF

猪股 丈征

TAKEMASA INOMATA

本田技研工業(株) 四輪事業本部 マーケティング企画室 主任
2005年入社 商経学部 経済学科 卒業
◎商社より中途入社後、アジア大洋州本部に配属。アジア大洋州向けシビックの商品企画を担当。◎2007年、四輪事業本部 開発企画室(当時)にて、グローバルS-PLとしてアジア向け新車種ブリオやシティの商品企画を手がける。◎2010年、中国業務室にてアコード、オデッセイ、シティの商品企画を担当。◎2012年、アフリカ・中東統括部にて商品企画。◎2013年から2年間、ドバイの中東事務所に駐在。商品企画に加え、マーケティング業務全般、クウェートにおけるAcuraブランド立ち上げに従事。◎2015年、帰任。四輪事業本部 マーケティング企画室にて、Acura担当としてAcuraブランドの強化に従事するとともに、新型NSXのグローバルS-PLを担当。

STORY

自社ブランドという憧れ。

SCENE01

2005年、猪股は商社からHondaに転職した。商社で様々な輸出入案件を抱える中、新規事業として積極的に手がけていたのはブランドライセンスビジネス。右から左へモノを動かすだけではなく、自ら企画を立て、デザインや製造の面倒まで見て、海外から買い付けたブランド名で売る。そんなビジネスに打ち込むうちに、猪股はモノづくりの面白さに目覚めた。自社ブランドで勝負できる、メーカーへの転職が頭にちらつくようになった。その時、猪股は33歳。最後の転職になるかもしれない。どうせ行くなら、日本の基幹産業へ。考え抜いた末の結論がHondaだった。学生時代、Hondaのバイクに乗っていたこと、本田宗一郎の本を何冊か読み、その理念に触れていたことも後押しになった。

2014年、ドバイに駐在していた猪股に、願ってもない好機が訪れる。中東におけるAcuraブランドの立ち上げだ。もともと北米での高級車ブランドとしてスタートを切ったAcuraだが、クウェートで手がけたいという現地ディストリビューター(卸売業者)が現れ、マーケティング担当としてプロジェクトに参画したのだ。どんな車種を投入し、どんな戦略で売っていくか。ディストリビューターとの交渉を始めたが、一筋縄ではいかなかった。例えば、仕入れ価格を提示した時のリアクションはこうだ。「もっと安くしてくれないと売れない!Hondaは儲かっているんだろう? 」。そんなことはない、と言ってもなかなか信じてもらえない。国によっては酒を酌み交わして距離を縮めることもできるのだろうが、中東では難しい。タフなやりとりが続いた。

一方で、車そのものの魅力や価値を、まず売り手である彼らに浸透させる取り組みも始めた。商品勉強会を開く。研究所に依頼し、技術説明をする。責任者を日本に招き、試乗してもらう。あの手この手を積み重ね、2014年、“Acura Kuwait”ショールームオープン。平坦な道程ではなかったが、なんとか無事にオープンまで漕ぎ着け、猪股はドバイを後にした。帰国した猪股を待っていたのは、さらに大きなチャレンジだった。26年振りにフルモデルチェンジを果たした新型NSX。その、グローバルS-PL(セールス・プロジェクト・リーダー)だ。

無数の挑戦。一つの想い。

SCENE02

猪股は、1970年代に起きたスーパーカーブームの中で育った。1990年に初代NSXがデビューした時、「日本でもこんな車がつくれるのか」と度肝を抜かれた一人だ。Hondaの夢と技術を詰め込んだ、まさにフラッグシップモデル。そして新型NSXは、北米、中国、中東ではAcuraから、その他の地域ではHondaのラインナップとして送り出される。つまり、2つのブランドを一身に背負う。猪股は、自分が手がける仕事の重みに震えた。

だが、次々に難局が降りかかってきた。例えば、開発が完了しているはずの時期に差しかかっても、なかなか開発完了が見えてこない。絶対に妥協できないという技術者たちの姿勢ゆえだが、度重なる仕様変更による製造コストへの影響を思うと頭が痛い。そもそも無数のこだわりから生まれたNSXは、採算だけを考えると難しい製品だ。そこで猪股は、各地域の営業の責任者を日本に招き、試乗会を開いた。ハンドルを握れば、誰もが「素晴らしい車じゃないか」と口を揃える。ここぞ、とばかりに猪股は説いた。「ここまで仕上げたNSXは、必ずブランドに貢献する。それだけの力を持っている。だからぜひ活用してください」と。

猪股から開発陣へ仕様変更を依頼することもあった。NSXの基本は「グローバルワンスペック」。その実、各地域の特性や法規により図面は地域ごとに少しずつ異なる。例えば中東では、砂塵と40℃を超える炎天下の中、変わらぬ信頼性を発揮できるように実際に車を走らせて開発陣が検証を行い必要な対策を講じる。そういった特殊事情とニーズを吸い上げ、開発陣にフィードバックするのだ。ただ、開発の主体は北米にある。時差のある北米とはもっぱら限られた時間でのテレビ会議になるため、顔を合わせていつでも相談できる日本の開発陣とは異なり、意思疎通が難しいこともある。ただでさえギリギリの奮闘を続けている開発陣との会話は、紛糾することも度々だった。「なんで何回言ってもあなたはわかってくれないの!」と、LPL(ラージ・プロジェクト・リーダー:開発責任者)のテッド・クラウスに机を叩かれたこともある。彼らも必死だ。想いは一つ、お客様の期待を超えた一台を届けたい。それぞれにベストを尽くしているからこそ衝突がある。猪股にはむしろ、国境を超えた激論を通じて、理想に近づいていくこのプロセスこそがHondaの強さだと感じた。会議中、猪股は何度も「お客様のために」と繰り返した。ただ一つの原点を、お互いに思い出せるように。

Hondaの結晶に乗って。

SCENE03

最後の最後に、猪股が頼み込んだ仕様変更がある。エンジンルームに鎮座する、シリアルナンバーが刻み込まれたプレート。もともとシリアルナンバーは、北米の001、日本の001といった具合に地域ごとにカウントされていた。これでは、同じナンバーを持つNSXが世界に何台も存在することになる。納得がいかなかった猪股は、より一台一台の車の価値を高めるためにグローバルでの連番に変えることを主張した。この世に一本しかない極上のスコッチのように、ただ一台のNSXを所有する喜びをお客様に味わって欲しかった。だからこそ、プレートのデザインにもこだわり抜いた。開発完了をひかえての土壇場だったが、最後には開発陣も納得してくれた。

生産準備段階への移行を間近に控え、猪股はオハイオへ飛んだ。役員から最終的なゴーサインをもらうため、実車による評価会が行われるのだ。滞りなく承認が下りた後、実際にNSXのハンドルを握る機会が訪れた。猪股が運転するのは、実はこの時が初めてだった。シートに体を滑り込ませ、アクセルに足を載せた瞬間、猪股は少年に返った。踏み抜くのが怖いくらいの加速感とともに、増していく胸のときめき。「こんな車を、本当につくったのか」。オハイオの広大な研究所のテストコースは一瞬で過ぎた。「これ。そう、これだよ」。猪股の感慨は、乗り味に向けただけのものではない。技術者たちの挑戦心や猪股自身の意思が、渾然一体となった結晶にじかに触れる喜び。しかもそれが、グローバルに羽ばたいていく嬉しさ。商社を飛び出し、Hondaを志した理由のすべてがそこにあった。

新型NSXは船出したばかりだ。世界的に注目される車種だけに、メディアにはいくつもの記事やレビューが掲載されている。しかし、肝心なお客様の声がまだ届いていない。オハイオの専用工場で一日にわずか8台という生産ペースは、いち早く発売された北米を始め、諸国で数年間の納車待ちを招いている。世界中から、実際に新型NSXを味わったお客様の声が聞こえてくるのはもうしばらく先になるだろう。それはどんな声か。未来のNSXをどう変えていくのか。Acuraブランドの再構築という新しい仕事に打ち込みながら、猪股は耳をすませて待っている。その声は、新型NSXに乗り移った、猪股という存在そのものに対する世界からの評価でもあるのだ。