PROJECT STORY

Driving the Edge

"NSX"

新型NSXの日米合作

この究極は、次の究極のために。

A00

Hondaの夢の結晶を、チャレンジの心と
継承の想いで具現化し、期待を凌駕して登場させる

STAFF

塚本 亮司

RYOJI TSUKAMOTO

(株)本田技術研究所 四輪R&Dセンター 主任研究員
1985年入社 工学部 機械工学科 卒業
◎入社後、四輪車体のテスト領域を担当。初代NSXの前身テーマとなる、スポーツカーのアルミボディ・アルミサスペンションの先行研究にも従事。◎1990~2005年、初代NSXの強度領域における完成車PLを担当。1992年発売のNSX-Rタイプから最終モデルまでは車体研究責任者のLPL代行を務める。◎1998~2010年にかけて、リアルオープンスポーツ“S2000”の完成車性能領域のLPL代行も担当。◎2011~2015年、第2世代NSX開発の完成車領域の日本側LPL代行を担当。

STORY

いざ、進化的復活へ。

SCENE01

夢を追い続け、革新に挑み続けるHonda。“NSX”はその象徴である。“人間中心のスーパースポーツ”という提案型コンセプトで、初代モデルを市場に投入したのは1990年。その先行研究や開発の最前線に、まだ20代の塚本がいた。そして、NSXの卓越した動力性能や操作性に心を奪われた人々の中に、あるアメリカ人の青年がいた。彼の名をテッド・クラウスという。

初代NSXは、数々のマイナーチェンジを経て2005年に生産を終了する。排出ガス規制等の法規が急速に変わる中、フルモデルチェンジなくしては継続が困難になっていたのだ。肩を落とし気味の塚本に、初代モデルのLPL(ラージ・プロジェクト・リーダー:開発責任者)が次のように言った。「HondaのDNAを宿すこのクルマを一代で終わらせてはいけない。強い意思をもって、いつか次世代のNSXをつくってくれ」と。単なる継承の願いではなかった。世界から期待されている、Hondaでなければできないクルマづくりに挑み続けよ、人々の期待を超えよ、超えるためにNSXを進化させよというメッセージだった。NSXとは“NEW SPORTS”+“X”、初代モデルの“X”は未知数を意味していた(注1)。つまりそこに定義はない。次世代にあるべきXについて仲間と共に考え抜き、クルマの可能性を広げてゆけという、先人の想いが込められた言葉だった。

塚本は以後、第2世代NSXのプランを練り続けた。実現のための本格的な時機到来となったのは、リーマンショックによる影響が払拭された後の2011年。当初の商品企画は日本で始動したが、日米の2極開発体制に変更された。その背景には、“グローバル機種開発はグローバル体制で”というHondaの将来に向けた戦略があり、“海外拠点での次世代人材の育成を”という目的もあった。タッグを組むことになった北米側の開発拠点は“Honda R&D Americas/Ohio Center(HRA-O)”。そしてこの第2世代NSX開発のLPLに抜擢されたのが、あのテッド・クラウスであった。初代NSXに惚れ込んだ彼は、その後HRA-Oへ転職していたのである。

未知数“X”の解は“人間中心”への想いだった。

SCENE02

過去に例を見ないほどの一大プロジェクトとなった。日本側の技術者陣だけでも、車体系/エンジン系/パワートレイン系などをはじめとする各領域のLPL代行、PL(プロジェクト・リーダー)、開発メンバーと相当な大所帯だ。塚本はその中で車体領域のLPL代行としてプロジェクトを推進。コンセプト立案、基本パッケージ(※注2)検討、性能目標設定、車体関連の開発テスト業務等を担当し、日米連携のためのパイプ役となった。

さっそくテッドが興奮気味に、PLたちと共に日本へやってきた。NSXの生い立ちや源流の思想について、あらためて話を聞くために。塚本は初代LPLやPLたちも呼び、ダイレクトコミュニケーションの場を設定。既存のスポーツカーにはなかった“人間尊重”というコンセプトを、世に問いたかったことなどが伝えられた。彼らに何かを強要することはない。既存の価値観に縛られすぎれば、過去の延長線になる。それでは“NEW SPORTS”じゃない。“Hondaらしい新しいスーパースポーツをつくる”という一点から出発し、あるべきコンセプトを一緒に考えていくことにした。そしてそのために、今度は塚本がアメリカへ飛んだ。

カリフォルニアにある某ワインディングロード。日米の技術部門だけでなく、営業・商品企画・広報部門などのキーパーソンもそこへ集った。目の前には初代NSXと、世界の名だたるスポーツカーがズラリと勢揃い。全員で片っ端から乗り比べ、初代NSXについてレビューすることから始めたのだ。まさにHondaが尊ぶ、現場・現物・現実に基づく“三現主義”の実践だ。すると「やっぱり人間中心の思想は欠かせない」「これこそNSXのコアバリューだ」と意見が一致。その後も徹底的に議論を重ねることで、具体的な開発へとつながるコンセプトをつくり上げていった。その要諦は次の通り。“人間中心”という根本思想は継承する。一方でHonda独自の先進電動化技術を生かしたパワーユニットや、そのユニットを使った新しい3モーターハイブリッド方式(※注3)等を適用する。それによりクルマの世界観と性能に新しい価値を生み出していく。

この究極を、次の世代の人たちへ贈る。

SCENE03

日本側チームの悩みの多くは、日本にいるときに発生した。海で隔てられた共同開発ゆえの困難、TV会議だ。画面を通してのコミュニケーションは機微が伝わりにくい。文化や価値観、ビジネス慣習が異なる人たち同士の議論だから尚更だ。こだわりゆえ技術的な意見がぶつかり合い、平行線のまま結論が出ないこともあった。けれどもやはり衝突があっても、合同テストなどで集まると好転した。皆でテスト車に乗り合い、検証するプロセスを踏むと、スムーズに物事が決まっていく。同じ現場で・現物を前にして・現実に検証していく三現主義はやはり偉大だ。

このような合同テストは、日本・北米・欧州の各地で何度も何度も実施した。そしてスーパースポーツとして世界第一級のダイナミック性能を実現するため、塚本たちは「目標性能を数値で計って達成すればよし」という判断は決してしなかった。例えば加速性能は“0から100kmまでに何秒”というような数値で示されるが、それは機械的にアクセルを全開で踏んだ時のピークパフォーマンスを表す数値にすぎない。ドライバーのFeel(感覚)を表してはいない。大事なのは、そのFeelだ。乗る人の微妙なアクセルの踏み込み加減に、きちんと応えてくれるResponse(反応)だ。そのきわめて微小なFeelとResponseがあってこそ、「Wow!」という期待を超えた驚きが生まれる。そこまで極めなきゃNSXじゃない。いわば異次元の新体験を創出するための、最後のひと絞りの粘り。第2世代NSXは、その徹底反復により、進化を遂げて誕生した。

塚本は先人LPLの願いを叶えた。NSXというHondaの幹を、さらに太いものにした。しかしこの幹を育てた主役は自分ではなく、日米のメンバーたちだと彼は思っている。第2世代NSX開発では、メンバーの大半が若い社員だった。Hondaの夢のクルマづくりは、夢を信じ、意思をもって叶えようと挑む若い人たちのチカラがなければ始まらない。それが塚本の考えであり、Hondaの変わらない考えでもある。今回つくり上げた究極を、次の究極で超えてほしいと塚本は願う。NSXの進化は第2世代で終わらせてはならないし、終わらない。何しろHondaの象徴なのだから。

※注1:新型NSXでは、“X”は“EXPERIENCE”を指し、“NSX=NEW SPORTS EXPERIENCE”となる。
※注2:パッケージとは、クルマ全体の配置設計のこと。
※注3:“SPORT HYBRID SH-AWD”のこと。四輪の駆動力を電動で制御するシステムを搭載したハイブリッドシステムで、エンジンだけでは達成困難な高レベルのレスポンスやハンドリング性能を実現する。